2011年 Miyuki Blog

死と向かい合う ~生への探求「松井冬子」

美貌の画家。彼女自身が素晴らしい作品でもある。
美貌の画家。彼女自身が素晴らしい作品でもある。

 

執拗に見つめる事の執念は何処からやって来るのか。 松井冬子氏の作品に触れてやっと、その答えにたどり着いたような気がします。
薄々感ずいている事も目前に突きつけられないと、受け入れられない事、逃れたい事はいくつもありますが、その中でも最も恐れ避けたい事は「死」かもしれません。
命が閉じるその事が、物理的に肉体上でどのように起こっているのか。 肉体が腐敗し、朽ち果て、物質と共にその存在も風化して行く様は日常の中では、忌み嫌われ
暗闇へと追いやられる。 グロテスクで気味の悪い、生理的にも受け付けられない状態を、これほどにも真摯に向かい合い、書きつけ、描写にエネルギーを注ぐことへの
素質、原点とは何なのであろうか。 筆の精緻さは、一切の曖昧さを排除して一層の生への敬意と執念を訴え、ひたすらに事実と真実を表現している。
凡人には到底かなわない、その執拗さこそ、芸術を選んだものの宿命だとしても、この生命への探求は、私にとっても、全ての曖昧さを捨てざるを得ない決断を迫られ、
めまいさえ感じる。 まるで足元もおぼつかない幼児のように、寄る辺ない不安を感じてしまう。
芸術家になる事への決意、それはどんなジャンルであろうと容易でない事でも分かるように、結局は生きる事の意味、その哲学、真摯なる執着を表現することなのだろうと理解致します。
美術、音楽、舞踊、パフォーマンス、映像、文筆、全ての表現の芸術性はこの事、生きている事の証。 その実態をただ、ひたすらに表そうとしている事なのだろうと想像し、
美しさも、華麗さも、可憐さも、ユーモアも、輝く若さも、恐怖も、醜さも、残酷さも、老いも、死も、全て欠ける事が許されないと覚悟する、その事が表現者としての条件なのだろうと言う事に思い当たります。 松井氏の作品はそれを、迷うことなく付きつけてきます。 そこに、畏敬の念と我が身からは遥か遠い羨望とナルシスティックな挫折を感じずにはいられません。
芸術はやはり、「ライブ」であるから説明し解説することは馬鹿げていると思いますが、それでもその印象を伝えたい思いに駆られるのは、魅力に触れた人達の共通の感情だと思います。
彼女の作品の感想一つ一つを伝えることのできないもどかしさはありますが、このもどかしさと自分だけが知っている感動が、「ライブ」に立ち会った証人の喜びなのかもしれなません。


 

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