ケチ   2011

「ケチ臭い人」。 正直、心が暗くなる言葉である。 
ケチる、ケチを付ける、ケチケチする、ケチがつく、けちん坊。 ケチがつく言葉は、褒め言葉にはどうしても使えないのは、ケチと節約、節制は心根の部分や時と場合のわきまえによる違いかもしれません。
でも、私の心が暗くなる「ケチ」は「お昼に誘っておいて、割り勘だった。」とか、「お金をケチったから、直ぐに壊れた。」とか、「ケチだから、お小遣いを上げてくれない。」などの、お金や物だけでは無く(時々はそれが理由で、悲しい気持ちになる事もあるのは事実) 言葉だったり、行動、態度がどうにもケチ臭く感じてしまう時は、ひどくつまらなく更には少し落ち込んでしまうわけです。
それが他人事であるにもかかわらずです。 例えば、自分自身の事を振り返ると子供が小さい時に、結果はどうあれ一生懸命やった時にそれを十分に称え、喜びを伝える言葉を使ってあげられなかった事が数限りなくあった訳です。 つまり褒めることを出し惜しみし、ケチったということです。これは、別に子供に限ったことではなく、会社の中であれば、同僚、上司、後輩、部下とその時々で、十分に頑張りや努力を称える言葉掛けが出来ていたかどうかと言う事でもあります。
必死でやった事に対して認められたり、称賛されるのは誰にとっても嬉しい事。それを、あまりいい気にさせては、天狗になられては困るなどど、ケチ臭い後先の心配をして、折角のタイミングにちゃんとたっぷりと言葉や感謝のプレゼントを贈れないなんて、勿体ない話です。 例えば、ライバルの素晴らしさを認めることは自分の負けになるから、絶対に褒めない、認めないと思ったとしても、本当のライバルは自分でしかないことが分かれば、今まで敵と見ていたその人は、共に険しい道を闘う同志であり、良きアドバイザーであることに気付きます。 
言葉や熱い思いを出し惜しみして、行動に移さず常に、様子を伺う事に精を出していると安全が確保されたように思うかもしれませんが、実際は、とても危険な状態だという事は、結果を受け取った時初めて分かるのかもしれません。
例えば、あなたが今、物事が上手く運ばず苦しみ、悩んでいたとします。 他人に目を向けたり、感謝したり、心のこもった言葉を投げかけることが出来ないとしても、そこは踏ん張りどころ、試されどころなのだと思います。 状態が良くない時、周りの人全てが羨ましく、気持がささくれ立っている時程、優しい言葉を、感謝の気持ちを声に出して言ってみる事です。 すると、不思議な事に気付くはずです。 その言葉は、必ず自分自身を慰め癒し、勇気づけてくれるからです。
脳は、褒め言葉が誰から発せられたかに関係なく、その言葉を単純に「喜び」として認知するそうです。 他人に掛ける言葉をケチる事は、自分に対しても言葉をケチっているという事。 であるならば、日常の中に光のシャワーの様に、楽しく美しい、優しい言葉が降り注ぐことは、自分を育てる大切な栄養素になってくれるはずです。
ケチらず、惜しみなく言葉に出して、あなたや、あなたの回りの誰かの脳に栄養を与え、どんな花が咲くのか楽しみに待ってみるのは、悪くないと思いませんか?

 

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