つながり     2011

kizuna311(http://kizuna311.com/)をやっと観られました。今まで、そんな「きれい事」を見る気になれなかったからです。でも、昨日仙台フィルの原田さんと連絡を取り、これからの事、今できる事、現状を話しながら、確実に私たちは前に向かって進もうとしていると、深く深く感動し考えました。 

被災している方々、犠牲になった方々、行方不明の方々、行方不明の届け出も出せない方々。 凄まじい数が日々ニュースで流されますが、その数の分、その数以上の生きた歴史と証が大きな自然災害の前に、揺れ動き、打ちのめされています。恐れと虚無感を抱えながらの生活は、これから想像を超えて日常の中に居座り続けるかもしれません。この災害を経験して、私はこれからあらゆるところで試されるでしょう。 
今までに起きた大きな災害の時に、自分は何をしたのか。そこで学んだことがあったんだろうか。全ては他人ごとでした。義援金は送ってもそれは、自分の安心の為です。良い人でありたかったから。もちろん、それは決して悪いことではないし、少しでも役に立ってくれるなら、自分の安心の為だろうが、売名だろうが、外国為替取引で儲けたお金だろうが、善意だろうが偽善だろうが、大きかろうが小さかろうが、関係無い。役立つことにどんどん送りたい。心底そう思います。 これから、子供達は問い続けていくでしょう。なぜ、死んでしまったの?なぜ、生き残ったの?なぜ、生きていかなければならないの?   一緒に答えを探したいと思います。

kizuna311の中の谷川俊太郎の詩に、改めて触れて、全く違った感情と深さに大好きな詩人であること以上に、この人間の大きさと言葉の力に、やはり感動せずにはいられませんでした。

「(中略)絶望にひたって生きていくことには意味がないという思いは変わっていない」「絶望を乗り越えるための他者とのつながりに必要なのは、無条件の敬愛だ。誰しも居場所がない、生きていていいのかといった思いに襲われることはあるだろう。そんなときは、まず誰かに手を差し伸べてみることだ。その手は必ず握り返されるはずだ。行動でもあり、精神の働きでもある。人は出会うと必ず別れる、出会った瞬間から別れる悲しみを内包して人は付き合っていくものだという、文学の根本にあるもうひとつの感覚が真実だとしても」 - これは、4月1日付日経新聞文化面に作家、伊集院静さんが寄稿されたものの一部を抜粋したものです。 

それぞれの人が受けた衝撃、悲しみ、肉体的精神的傷、それらすべての消す事の出来ない記憶。 
それでも、絶望の時を経て、再生への道を歩む決断を、それを支援する力を、ひとりひとり出来る事、他者とつながりながら、それぞれの分野でやることだよ、そんな風に私の心にこのメッセージは届きました。

 

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