寂しさのわけ      2010

残業で疲れ果てた体を引きずるように家路に着く。 ふと見上げる自分の部屋の窓。 両親と一緒であれば、家には明かりが灯っているでしょう。 でも、もし独り暮らしだったら、その窓は真っ暗でひっそりとしているはず。 想像してみて下さい。 厚手のコートを着込んで、マフラーをしっかり首に巻き、手にはミトンをはめている。 (手袋じゃ無く)冷え切った体を早く温めたくて、必死で鍵をカバンから出そうとするがなかなか見つからない。 やっと引っ張り出したかと思うと、今度は暗くて鍵穴に上手くキーが入ってくれない。 イライラして、ミトンを外し凍える手で、鍵を回す。 ホッとして部屋に足を踏み入れて、灯りをつけるスイッチを探す。 蛍光灯の白々とした明るさに浮かび上がったのは、今朝のコーヒーが飲みかけのままテーブルの上にポツンと一つ置いてある。 部屋が暖まるまでには、まだ、大分時間がかかりそうだ。 コートを着たまま、座り込むあなたが思うことは? 一体、どんな一言が口を突いて出てくるのでしょう。
選択理論心理学では、結婚適齢期の定義について「独身生活が最も充実した時」と言っています。 最も充実して、毎日を豊かに過ごしている時。 一人でいる事を既に充分に楽しんでいる時。 なら、何故結婚を考えるのか。 一人でいるのが楽しいのに、敢えて誰かと一緒に暮らす理由は? 
充分に楽しい独り暮らしの毎日だとしても、寂しさはあるはずです。 その寂しさの出所を考えてみると、ハッキリと見えてくる事があるように思います。 独りでいるのが不安で寂しいと感じ、誰かと一緒に暮らしたい、誰かに優しく肩を抱いてもらいたい、あたたかい温もりを感じたい。 話を聞いてほしい、寂しさを感じさせないようにそばにいて、空虚さを埋めてほしい。 もし、それが人と一緒にいる理由だとしたら、まず、間違い無くいずれ二人の関係は破たんしてしまうでしょう。 自分の中の寂しさ、空虚を誰かに埋めてもらいたい、何かを与えてもらいたいと願うことから、パートナーを探し求めるのだとしたら、満たされたと感じる事が出来ず、ひたすら相手に求め続ける事になるはずだからです。 ところが、自分の生活や仕事に満足し、日々に喜びを感じている人間が感じる寂しさは、「与える」事に飢えた寂しさになるはずです。 幸せや喜びを分ち合う相手がいない事に、寂しさを感じ常に誰かに溢れんばかりの愛情を注ぎたい、と思っているはずです。 
寂しさのわけ、まるで算数の数式の様に、イコールの後の答えは同じでも、そこに至るプロセスは全く違う数式。 一方は、引き算でどんどん引いて行くうちに、結果が=0になり、一方は掛け算を重ねて最後にかけるものが無くて=0になったように、一人の寂しさは一体どこから来るのかによって、全く違う「相手」探しを始めるはずです。
喜びを与える相手と与えてもらう相手。 良い相手と巡り合えるのは、「縁」かもしれませんが、その「縁」を作る心の在りようは、是非とも「与える」心の求める結果であってほしいと願います。 愛情が溢れだした時、その時こそが間違い無く「適齢期」になるはずです。

 

What's New

 

 

<最新のニュース>

What's New!

早苗美幸のブログ 

人生相談ブログ:女と男の内部告発®

 

早苗美幸事務所

お問合せはこちらから