大人になる      2010

子供たちが、友達関係、恋話、学校問題で盛り上がって話しているのを聴いていると、吹き出したくなるほど幼稚だったり、ビックリするほど大人でシビアなものの考え方、見方をしていたりと、ゆっくりと大人への階段を上っている過程を見せてくれています。 子供から大人になっていく段階は、当事者も周りも、もどかしく時々はイライラし思うように行かない理想と現実の狭間で苦しみ、経験した事のない感情に戸惑い相談出来る友達も見つからず、悶々とする日々を経験したりもするのでしょう。
思えば、中学から高校時代は、常に自分と他者との間の取り方や自己顕示欲、自意識過剰、自己主張、思いこみ、勘違いを日々繰り返しながら、勝手に哲学していたと記憶しています。 カッコいい自分の理想と格好悪い現実の私。 受け入れがたいギャップに常に悩まされ、妄想の恋や、疲れる友達との関係づくり。 あれこそ確かに青春と言えるが、振りかえると青春って「格好悪かった」。 そして、私自身の事で言えばその格好悪い自分を受け入れた瞬間が「大人になった」時だったと思います。 高校の部活で問題が起き、毎日のようにミーティングや友達間で部室や近くのパン屋で買い食いをしながら、話合い、文句を言いあっていた時期がありました。 皆の前では、如何にも正当な意見を言ってはいるが、心の底で思っている事は、もっと自分勝手な、自己中心的な意見を必死で正当化しているだけの事であり、そのいやらしさは誰よりも一番自分が、気づいている事でした。 本当なら「私が、遣りたいようにやらせてよ!言う事をききなさい!」と言いたいだけなのです、単純に。 その矛盾を、どう処理していいのか分からず、学校から自宅までの自転車通学の間中ずっと自分自身による、自分自身の為の、自分自身の正当化を考え続けていました。 どんなに頑張ってみても、すっきりしない心を抱えながら、部活を止めようかどうしようかと悩みながら重いペダルを漕いで、家までの帰り道を憂鬱な気持の自問自答を繰り返していたら、突然天からのレスポンスが降ってきたのでした。 「お前は、我儘なだけだよ」と。 正当化に必死だった自意識過剰的理想主義少女は、あっさりとその言葉を受け入れ「ナルホド」と、馬鹿みたいにホッとしたのでした。 悩みから解放されたわけです。 「私は我儘なんだ。そういう人間なんだ。」 そう思った瞬間全てに矛盾がなくなり、苦しんでいたギャップはどこかへ吹っ飛び、許せなかった友達を受け入れられたのでした。 「あっ!今、私は、大人になったな。」と思った瞬間です。 自分は、自分が思っているほど、素敵でもなく、ずば抜けた感性と魅力にあふれている訳でもなく、ひらめくアイディアだって大したことはない。 欠点だらけで、嫌なところだらけだけど、それでも「わたしは、駄目なわたしが好きだ!」と、感じられ訳です。 「大人」というのは、勿論20歳を過ぎたら全員与えられる権利を意味する時もありますが、本当の意味でひとかどの、一人前の大人になるにはいろいろな段階を経て、やっと手に入れられる許可証。 もしかしたら、死ぬまで公認は得られないかもしれませんが、知識や情報を得るだけでは身に付かない、取得の厳しいライセンスです。 その第一歩が「自分の全てを受け入れ、正面から向かい合う事が出来る」という事。 これは中々に辛いものがあり、高い理想を掲げがちな若い時代には、達成できない自分を受け入れられず、自己嫌悪し挙句に社会に、他人にと恨みを持ってしまう事もあります。 出来なかった、上手くいかなかったのは、全て周りが悪いのだと。
そこから一歩踏み出して、大人の世界で踏ん張って生きていくと、更に違うステージがあり、グレードアップをさせてくれるカリキュラムが用意され、出会う人々がいるのです。 踏み出す前には想像もできなかった新しい出来事が待っているのです。 「大人」として振る舞い、生きるのは実に大変な事ですが、それ以上に収穫が大きい事を知れば、決して「大人修行」は辛いものでは無くなるのではないでしょうか。 

 

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