夢見るリアリスト      2010


GWも終わり、それぞれが休日を楽しんだり、仕事だったり、仕事を探したり、学校に行く気が失せたり、やる気が出たり、新しい出会いがあったり別れたりと、たかだか1週間の間にも沢山の出来事があった事でしょう。 私個人としては、子供を持ってから休みは常に子供の為にあるようなもので、今年もバレエのコンクールに付いて行き、レベルはバラバラでも「兎に角バレエが好き」な人達の集まりの中にいました。
勿論私も見るのが大好きなので、一日中観ていても飽きないのですが、さすがに長い間プロも含めて結構な数の舞台を観る機会があったので、素人目にもコンクールに出てくる子たちの板に付くまでの間に(定位置に歩いてくるまで)どの程度踊れるのかは見当がつきます。 正直これは上手そうだと思えば身を乗り出して真剣に観ますが、最初の一歩が緩いともう観る気が失せてしまいます。(バレエでは常に足先は重要なポイントで、きれいなアーチを描いていて、アンディオールし、美しいアキレスを見せている状態が望まれます。)プロのダンサーを見れば直ぐにわかる事なのですが、ひとつひとつの動きが磨き抜かれていて、隙なく美しい。 たゆまぬ努力の積み重ねで、そのすべての動きが一朝一夕に出来るものではありません。 コンクールに出てくる何人がプロとしてやっていけるのかは、わかりませんがそれぞれの目的の途中にいる事は間違いありません。 つまり、必死の努力をしているプロセスを、舞台で見せてくれているわけです。
これ程期待に胸躍る事はありません。 スターになる前の輝く才能に溢れた卵達を、間近に見られるのですから。 これは、どの世界においても共通する事かも知れません。 ビジネス、スポーツ、芸術、学問、研究、いかなる世界でも日々の努力を重ねていくことでしか、得られないレベルがあり、達成の度合いがあり、見えてくるものの違い、目標の違いが出てくるはずです。 
長い時間電車に揺られながら、子供と久しぶりにいろいろな事を話し合い、特に小さい頃の思い出話をじっくり聞きました。 当時の事を少し書き出しますと、小さい頃から習い事をさせていたので、小学校に入るころには、一週間の殆んどを習い事に費やすようになっていて、学校のお友達とは殆んど遊ぶこともなく習い事から習い事への梯子で、私はまるで二人のドライバーのように、スケジュールに合わせて、一日中、事によったら夜中まで車を走らせ、または、電車に乗せひたすら送迎とお弁当作りに明け暮れていました。 当時はステージママのようなつもりでいたのかもしれません。 ただ、その状態が二人にとって良い事なのか、何か大きな事を見逃しているのではないかと、常に不安になっていたのも確かです。 子供の一日のスケジュールとしたら、異常なのじゃないかと。 後々、大きなしっぺ返しが来るかもしれないと思いながら、その時がきたら受け入れるしかないと覚悟をしながら、半分は自信がもてず綱渡りをしているような気持で、日々を送っていたわけです。 子供に、どう思っているのか聞いてみました。 もっと、学校の子達と思いっきり遊びたかったのじゃないか、遣りたい事、行きたい場所が他にもっとあったのじゃないかと。 そして、それが出来なかった事を後悔、もしくはさせてくれなかった事を恨んでいるのじゃないかと、尋ねたわけです。 すると、私にとっては、意外な答えが返ってきました。 「全く後悔していないし、自分の子供にも同じことをさせるだろう。もっと、厳しくやらせるかもしれない。」と。 理由は、例えばバレエに関して言えば、「小学生の頃は遊びに行く感覚で、レッスンもいい加減に楽しければそれで良かったが、目的が出てきてもっと上手になりたいと思うようになり、教室を変え環境が一変し、周りの生徒達のレベルや目標設定の高さに刺激され、練習をすればするほど、自分に足らないものがハッキリと見えてきた。 コンクールは自分の位置がどの程度なのか冷静に見られるし、目標になる。 いい加減にやっていた頃は、客観的に自分の能力を見出すことが出来なかった。 だから、ありえないような夢を見ていたし、しかもそれを叶える為の努力もしていなかった。 それを知る事が出来ただけでも、習い事に費やした時間は、十分な価値がある。 あの厳しい時間が(スケジュール的にも)私を大人にしてくれた。 あれがなかったら、未だに甘い夢を見るだけの緩い精神力しかなかったと思う。」と言い切った子を、まじまじと見てしまいました。
正直、この言葉程大人な訳ではないのですが、いや、凄く幼稚な精神構造をしていると親は知っている訳ですが、この言い切りこそが睡眠時間を削りながら何とかこの十数年間をやり繰りしてきた自信なのだ、と感心してしまったのは事実です。 ただの子供自慢になってしまいそうで恥ずかしいのですが、アー成る程と思わせられたのは、リアリストこそが夢を追いかけるのだと気付かせられた瞬間だったのです。 ナビゲーターに現在地と目的地を入力するように、経験値が高くなり、自分を客観視出来、情熱に突き動かされている時でさえ、冴え冴えとした冷静さと、物事を俯瞰して見られる判断力が出来てこそ目的地までの位置関係を知ることが出来る。 また、ロマンチストでありながら恐ろしいほどリアリストでもある、これは、人間としても魅力的なはずです。
人との交流、コミュニケーション、アプローチにおいて中々自分の思うように行かない、と悩んでいる人達の話を聞くときに共通して感じるのは、一つにはある意味経験が少ない事、自分自身に関心を向けているようで、ポイントがずれている事などであり、自分自身の悪いところだけを見たり、逆に好きじゃない所を一切受け入れなかったり、良いところを探せずにいたりと様々ではありますが、何か他人の目から見たらセルフイメージに随分とギャップがあり、見ている場所、見方がずれているように感たりもするのです。 多くの経験と努力を経て、磨きぬいた技は人々を感動させるように、日々積み上げていくその日常の細々とした事、思いを大切に積み重ねていく事は、人としての魅力につながり他人を「前のめり」にする程の引力を、作り出してくれるのでしょう。 
夢見るリアリスト。 常に、成りたい自分、成りたい状況を夢見ながら、リアルに今を受け入れていく事は、目的地にたどり着く大切な地図を描く為の条件なのかもしれません。

 

What's New

 

 

<最新のニュース>

What's New!

早苗美幸のブログ 

人生相談ブログ:女と男の内部告発®

 

早苗美幸事務所

お問合せはこちらから